『映画ちいかわ』を国際政治学から読み解く:なぜ争いは始まり、なぜ終わらないのか
Reading "Chiikawa the Movie" through International Politics: Why Do Conflicts Begin, and Why Do They Not End?
紛争終結の難しさは、物語の終盤で生々しく描かれる。倒れて苦しみ、もはや攻撃能力を失ったセイレーンを取り囲み、島民たちは熱狂しながら報復の継続を呼びかける。その姿を目にしたちいかわたちは「これでよかったんだよね……?」と、自分たちの行為を問い直す。軍事的な勝利は政治的な紛争解決と同義ではない。セイレーンの攻撃能力を奪ったからといって、セイレーンへの報復をどこで終わらせるかについての合意の成立は困難だったのだろう。
1917年、第一次世界大戦が続くなか、米国のウッドロウ・ウィルソン大統領は「勝利なき平和(Peace without Victory)」を提唱した。勝者が敗者を屈服させるだけでは怨恨が残り、持続的な平和の基盤にならないという考え方である。
では、「セイレーンなき平和(Peace without Siren)」はどうだろうか。
セイレーンは人魚の島を去り、島は危機を脱する。当面の脅威が取り除かれたことは、島民にとって確かに重要な成果である。しかし、紛争の発端となった人魚殺害の問題も、セイレーンの報復動機も、解消されたわけではない。
ヒトハとフタバは、紛争の発端となった人魚殺害の事実を島民たちに明らかにしないまま、ひそかに別の島へと脱出する。そしてセイレーンたちは、二人の追跡を続ける。つまり、戦闘の一局面が終結しても、紛争の原因と当事者間の敵対関係は残されている。しかも、その対立が別の島へと波及する可能性すら示唆されているのである。
戦闘の停止、敵対行為の終結、紛争の政治的解決、そして持続的な平和の実現は、それぞれ全く別の問題である。『映画ちいかわ』の結末は、目の前の脅威を排除することと、紛争の根本原因を取り除くことが、いかに異なるかを描き出している。
紛争は必ずしも、すべての当事者が最初から大規模な戦いを望むことで始まるわけではない。個々の行為者にとって理解可能な選択が、予期しなかった暴力の連鎖を生むことがある。そして、いったん始まった紛争を根本的に解決することは、戦闘に勝利することよりも難しい場合がある。『映画ちいかわ』は、そうした国際政治の逆説を鮮やかに描いている。
小さくてかわいい生き物たちを通じて国際政治を考えることは、世界を見るための問いを増やすことでもある。私たちは誰を守ろうとしているのか。その安全のために、誰が犠牲を払っているのか。なぜ同じ陣営に属する者同士でも協力は難しいのか。そして、脅威を排除した後に、何をすれば平和を築けるのか。
私が映画館で求めていたのは、国際政治を忘れるためのひとときだった。しかし、ちいかわたちが私に与えてくれたのは、国際政治について考え続けるための、いっそう多くの問いだったのである。
(抜粋 — excerpt; the original continues at the source.)
理解度チェック Comprehension check
筆者の主張として最も適当なものはどれか。
「その姿」は何を指しているか。
「セイレーンなき平和」について、筆者はどのように考えているか。
紛争の始まりについて、本文の内容と合っているものはどれか。
映画を見た経験について、筆者はどのように述べているか。
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